NANAIRO DAYS
2026.09.09
「文学部は就職できない」という話を耳にすることがある。
前回の記事では、このイメージが必ずしも正しくないことを紹介した。文学部を卒業して民間企業や公務員になる人は多く、北海道大学文学部でも卒業生は幅広い業界へ就職している。
一方、文学部の卒業後の進路を考えるうえで、もう一つ無視できないものがある。
大学院進学である。
北海道大学文学部では、大学院等へ進学する学生が以前から一定数いる。
文学部から修士課程へ進み、さらに博士後期課程へ進んだ人もいる。 その後の進路は、どう決まるのだろうか。
今回は特に、「博士まで進めば研究者になれるのか」という問題を考える。公表データとして、文部科学省や北海道大学などを参照する。
北海道大学の2025年度卒業者を見ると、文学部では194人中58人が「高等教育機関への進学」とされている。進学率は29.9%である。
同じ年度の経済・経営学部は202人中29人で14.4%。文学部はその約2倍となる。
「文学部の3割が大学院へ行く」と一般化することはできないが、過去の北大資料を見ても、一般的な就職型の文系学部と比べて大学院進学が身近な進路であることは確かだろう。
文学部を卒業して大学院へ進む場合、通常はまず修士課程でさらに2年間研究を続ける。
しかし、大学院まで行けば専門性が高くなり、就職にも有利になるとは限らない。
文部科学省の「学校基本調査」をもとにした資料を見ると、令和4年3月の修士課程修了者の就職率は、人文科学が46.5%、社会科学が59.6%だった。
一方、理学・農学では70%台、工学では約9割に達する。
人文科学は、同じ文系の社会科学と比べても低く、理系、とりわけ工学との差はさらに大きい。
ここでいう「就職率」は、就職を希望した人のうち何人が就職できたかを示す内定率ではない。修了者全体に占める就職者の割合であり、博士後期課程への進学者などもいる。
したがって、この数字だけを見て「人文学修士は企業に採用されにくい」と結論づけることはできない。
しかし、人文科学と社会科学だけを比べても、
2018年3月 50.9%/64.1%
2019年3月 52.6%/65.4%
2020年3月 49.0%/63.7%
2021年3月 45.3%/58.9%
2022年3月 46.5%/59.6%
2023年3月 51.7%/63.4%
2024年3月 54.7%/66.6%
と、人文科学/社会科学の順で7年間すべて10ポイント以上の差がある。
つまり、「修士号を取れば就職で有利になる」と一括りに考えること自体が適切ではない。
北海道大学文学院の令和7年度修士課程修了者94人の進路は、
・博士後期課程進学 36人
・就職 42人
・その他 16人
だった。
博士後期課程への進学は38.3%、就職は44.7%である。
年度による変動は大きいが、令和5~7年度の3年間平均では、
・博士後期課程進学 29.5%
・就職 52.1%
・その他 18.4%
となっている。
「その他」には、帰国、大学院等の受験準備、文学研究院研究生などが含まれる。
つまり、北大文学院では修士課程を修了した人のおよそ3割が、さらに博士後期課程へ進んでいる。
博士後期課程まで進む人にとって、大学教員や研究者は重要な進路の一つとなる。しかし、
「博士課程を修了する」
↓
「大学の専任教員になる」
という道が保証されているわけではない。
文部科学省の資料では、人文科学の博士課程修了者の就職率は、長年にわたって他分野より低い水準で推移している。
たとえば2022年3月は39.9%で、全分野の69.3%を大きく下回っていた。
ここでも39.9%を「残り約6割が無職」と読むことはできない。
問題は、博士課程を修了しても、ただちに安定した研究職を得られるとは限らないことである。
この問題について、科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が追跡調査を行っている。
2002~2006年度に博士課程を修了した人文・社会科学系の人を追跡したところ、人文科学では、博士課程修了直後に大学の非常勤職などに就いた人のうち、
65.7%
が、5年後にも非常勤職などにとどまっていた。
約3分の2である。
一方、博士課程修了直後にポストドクターとなった人では、5年後に専任大学教員となった人が56.6%だった。
つまり、博士課程を終えて大学で研究を続けられたとしても、その先に安定した専任職が待っているとは限らない。
なお、この調査は2002~2006年度の博士課程修了者を対象としたもので、現在の状況をそのまま示す数字ではない。ただ、人文科学の博士課程修了者の就職率が現在も他分野より低いことを考えると、過去だけに存在した問題として片づけることもできない。
では、北海道大学では実際にどうなっているのだろうか。
北海道大学文学院は、過去5年間の博士後期課程修了者・単位修得退学者151人の進路を公表している。
・アカデミックポスト 52人(34.4%)
・日本学術振興会特別研究員PD 10人(6.6%)
・他機関研究員 24人(15.9%)
・文学研究院専門研究員 15人(9.9%)
・非常勤講師 4人(2.6%)
・民間企業 13人(8.6%)
・公務員 9人(6.0%)
・帰国 4人(2.6%)
・その他 20人(13.2%)
ここでいう「アカデミックポスト」とは、具体的に何を指すのだろうか。
北大は明確な定義文を示していないが、実際の就職先を見ると、国内外の大学や高専などの教授、准教授、講師、助教などが並んでいる。
一方、日本学術振興会特別研究員PD、他機関研究員、文学研究院専門研究員、非常勤講師は、それぞれ「アカデミックポスト」とは別に集計されている。
したがって、ここでいう「アカデミックポスト52人」は、単に大学や研究機関で何らかの仕事をしている人ではなく、大学等の専任教員ポストに到達した人と考えてよいだろう。
151人中52人、34.4%である。
ただし、この52人が全員「任期のない安定した大学教員」になったという意味でもない。
実際の就職先には、通常の教授・准教授・講師・助教などに加えて、特任准教授、特任講師、特任助教なども含まれている。また北大の集計は、博士課程修了直後だけではなく、学振PDや専門研究員を経て修了後5年以内に就職したケースも含んでいる。
一方で、アカデミックポスト52人とは別に、学振PDが10人、他機関研究員が24人、文学研究院専門研究員が15人、非常勤講師が4人いる。
北大文学系の博士課程を終えた人の多くが研究の世界からただちに離れているわけではない。
むしろ実態に近いのは、研究の世界に残る人は多数派だが、その中で大学等の専任教員ポストまで到達している人は、修了後5年以内の就職を含めても約3分の1という姿である。
ここまでの数字を、分かりやすく1000人に置き換えてみよう。
北大文学院の修士修了者1000人がいたと仮定する。
過去3年間の平均では、博士後期課程へ進むのは29.5%なので、
修士修了者1000人
↓
博士後期課程へ約295人
となる。
さらに、博士後期課程修了者・単位修得退学者のうちアカデミックポストに到達した割合34.4%を機械的に当てはめると、
修士修了者1000人
↓
博士後期課程へ約295人
↓
アカデミックポストへ約101人
となる。
もちろん、これは異なる年度の集団から得られた二つの比率を単純に掛け合わせた概算であり、「北大文学院の修士課程に進めば10.1%の確率で大学教員になれる」という意味ではない。
また、ここでいう「アカデミックポスト」には、前述のとおり任期付きの職も数多く含まれている。
この約101人のうち、任期のない安定したポストにたどり着くのは何人なのか。
それは北大の公表資料だけでは分からない。
ただし、全国的な研究者の雇用状況から、その先の厳しさをある程度イメージすることはできる。
先ほど紹介したNISTEPの追跡調査では、人文科学系の博士課程修了直後に大学の非常勤職などに就いた人の65.7%が、5年後にも非常勤職などにとどまっていた。
ポストドクターとなった人でも、5年後に専任大学教員になっていたのは56.6%だった。
つまり、
修士修了者1000人
↓
博士後期課程へ約295人
↓
アカデミックポストへ約101人
↓
任期のない安定したポストは、さらにその一部
というのが、現在確認できるデータから描けるイメージである。
最後の人数を「50人」「70人」などと具体的に示すことはできない。北大の進路実績と全国の追跡調査では対象となる年代や集団が異なり、単純に数字を掛け合わせることができないためである。
ただ、約101人という数字自体が「安定した大学教員になれる人数」を示しているわけではなく、そこからさらに絞られるという点は押さえておく必要がある。
なお、これは「研究者を目指して修士課程へ入った1000人」の成功率でもない。修士課程に入った時点で何人が研究者を志望していたのかというデータがないからである。
あくまで、現在公表されている北大文学院の数字を1000人に置き換えた、進路の規模感をつかむためのモデルである。
もう一つ見落とせないのが「時間」である。
大学を22歳で卒業した場合、修士課程を終えるのは24歳前後。さらに博士後期課程を標準修業年限の3年間で終えれば27歳前後になる。
しかし、人文科学系では博士課程が標準修業年限を超えて長期化する人が多いことが、文部科学省の大学院部会でも繰り返し問題として扱われてきた。
さらに博士課程修了後も、非常勤講師や任期付き研究員などを経て専任ポストを目指す場合がある。
研究者を目指すということは、単に「あと数年大学で勉強する」という選択ではない。20代後半以降の働き方や生活まで含めて考える必要がある。
ここまでの数字から分かるのは、人文学の大学院へ進むこと自体が問題なのではなく、その先の進路を学部卒業時とは別に考える必要があるということだ。
大学院は就職のためだけに存在するものではない。研究したいテーマがあり、それを専門的に追究するために大学院へ進むことには、それ自体に意味がある。
ただし、「研究したい」ことと、「研究を職業として続けられる」ことは別の問題である。
修士に進めば就職が有利になるわけではない。
博士まで進めば研究者になれるわけでもない。
大学院進学を考えるのであれば、「何を研究したいのか」と同時に、その研究を終えたあとにどのような進路を選ぶのかまで考えておく必要がある。
ここまでは、統計をもとに文学部から大学院へ進んだ場合の進路を見てきた。
最後に、FiveSchools代表・村上自身のケースも紹介しておきたい。
村上は北海道大学文学部の卒業生である。
途中で休学を挟んだ(「留年」ではないことに注意されたい)ため、2007年の卒業時は24歳。
その1年前、23歳の時点で卒業しようと思えば卒業できたし、実はその時には大学院にも合格していた。もともと研究者になるつもりで入った文学部である。
だが、友人(今も交流がある)の強い勧めを受け、進学せず民間企業への就職を選んだのである。
就職活動では、新日本石油、JT、住友金属工業の3社から内定を得て、新日本石油へ入社を決めた。
(ちなみに、村上に就職活動をするよう強く勧めた友人も同じ新日本石油に入社している)
もしあのとき就職せず、そのまま大学院へ進んでいたら、今ごろどうなっていたのだろうか。
博士後期課程へ進み、研究者を目指していたかもしれない。
その先で専任の大学教員になっていた可能性も、非常に低いだろうがゼロとは言えない。
いや、もしかしたら、路頭に迷っていたかもしれない。
村上が大学1年の頃、文学部の先輩に「博士課程まで行って研究者を目指したい」と言ったら、「やめとけ」「無謀だ」「人生棒に振るぞ」のように口々と言われたものだ。
今回の調査も、それをある程度裏付ける内容であったと言えると思う。
前回、今回の記事を通じて、文学部に進学すること、文学部で大学院に行くことに村上が否定的な姿勢を持っていると思われた方もいるかもしれない。
たしかに、他人に無責任に勧められる進路ではどう考えてもない。
だが、村上が今18歳に戻れたとしても、間違いなく文学部を選ぶと思う。
(北大かどうかはわからないが)
予備校講師であり、塾経営者であり、日本語教師であり、参考書著者である人間が、文学部を選ばない理由などどこにもない。文学部で学んだことを生かして食べていく道は、大学教員になることだけではないのである。
(ちなみに、自分が他の仕事をするイメージはまったくわかないまま今に至っている)
趣味と実益を兼ねたような学問ができる、村上にとってはある意味夢のような場所と言ってもいい。
今だったら、当時の10倍文学部での大学生活を楽しむ自信がある。
・北海道大学「卒業後の進路状況(Post-Graduation Statistics)」
文学部・経済学部等の卒業者数、進学者数、就職者数
・北海道大学大学院文学研究院・大学院文学院・文学部「進路・就職(大学院)」
文学院修士課程の進路、博士後期課程修了者・単位修得退学者151人の進路、アカデミックポストの実績
・文部科学省「大学院関連参考資料集」
修士課程・博士課程修了者の分野別就職率など
・文部科学省「人文科学・社会科学系における大学院教育の関連データ集」
人文科学・社会科学系大学院の進学・就職状況など
・科学技術・学術政策研究所(NISTEP)「我が国における人文・社会科学系博士課程修了者等の進路動向」
博士課程修了後のポスドク・大学非常勤職等を5年後まで追跡した調査
進学教室FiveSchools
2018年に札幌に設立され、小学5年から高校3年まで5教科指導を行う総合進学塾。教科別「クラス授業」、通い放題「FIVE学習会」、1on1「個別指導」を指導の3本柱に常に高い実績を生み出し続ける。北海道の塾ながら、Webを通じて本州、九州、四国、時に海外まで広く塾生を抱えることも特徴。
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