NANAIRO DAYS
2026.05.12
個別指導でわたしがいったいどのような指導を行っているかを語ってみるシリーズ、今回は「記述問題」について掘り下げてみようかと思います。
「評論が苦手です」という生徒も多いですけど、それと同じぐらいですかね。
「記述が書けません」という生徒も個別指導を申し込んでくる生徒のうちのかなりのパーセンテージを占めています。
うちの個別で記述問題を指導するのは、ほぼほぼ「模試」の復習を行うケース、あるいは自分が受験したい大学の「過去問」演習を行うケースに2分されます。
予備校や塾で仕事をしていると、他の先生(特に国語)が次のような愚痴をこぼすシーンに出会うことがあります。
「いきなり生徒に模試(過去問)を持ってこられて質問されてさ。こっちは文章を読んでさえいないから、対応のしようがないよ」
みたいな。
言われてみればもっともな感想ではあります。
生徒は自分で読んで解いた問題でも、指導者サイドは完全に初見ですから、それを「この問題がわかりません、教えてください」と言われても困ってしまう。
ですが、わたしはこのような「初見の問題でいきなり質問される」事態を何一つ苦としておらず、あっさり難なく対応してしまいます。
事前準備ゼロでもまったく問題ないので、どんどん持ってきてほしいぐらいです。
なぜ、そんなアドリブの指導が可能なのか。
わたしが本文を1行も読んでいなくても、いや、むしろ1行も読んでいないからこそ指導できることがあるからです。それは、
「生徒が書いた記述答案」が、そもそも日本語として意味が通るかどうか
をチェックすることです。
本文なんて読まずとも、先に生徒の答案だけ読めばいいんですよ。
(選択問題でも同様に対応可能ですが、そのやり方はまた別途語る機会を設けたいと思います)
前回の記事で、評論読解の目的を
筆者がしゃべった内容を「かみくだいて」「専門知識のない一般読者でもわかるように」「かつ筆者の意図とズレがないように」翻訳すること
とわたしなりに定義しました。
であれば、記述問題についてもまったく同じスタンスであることは言うまでもありません。
傍線部で問われている内容(あるいは本文全体の趣旨)を、専門知識のない一般読者でもわかるようにかみくだいて、かつ筆者の意図とズレがないようにまとめる。
つまり、本文を一切読んでいないわたしが読んで、それで「十分意味が伝わる答案だな」と感じ、「きっとこういう本文内容なんだろうな」と予測できるのであれば、評論読解の目的が十分達成されていると言えるわけです。
(まぁ実際はわたしが後で本文内容を読んで、内容が正しいかどうか検証する必要があるのですが)
逆に言えば、わたしに言われなくても、生徒自身が日々今述べたような視点を持って自分の記述答案の良し悪しを見極めればいい。
そうすれば、いちいち個別指導など受けなくても生徒自身で勝手にどんどんレベルアップしていくことができます。
よく、わたしは生徒に「脳内にイマジナリー読者を置いてみよう」と言います。
つまり、自分が書いた記述答案を読んでくれる空想上の読み手を想定すればいいわけです。
アホすぎず、賢過ぎず、ちょうどいいレベルの中学生~高1生ぐらいをイメージするといいでしょう。
(「ギリギリ南高北高に入れるか入れないか、ぐらいの中3生」みたいに普段は言ってます)
本文を全く読んでいないそのイマジナリー読者に、自分の書いた答案だけを読ませて、果たしてそのイマジナリー読者は「なるほど、意味がよくわかる」と言ってくれるかどうか。
言ってくれる自信があるならそのまま提出すればいいし、そうでないなら(時間が許すなら)推敲して書き直せばいい。
このように記述問題をとらえてみると、前回も申し上げた「ナンチャッテ記述メソッド」、つまり
「意味も理解しないまま、傍線近くにある『それっぽい』ところを適当にツギハギする」
という記述問題の解き方が、いかに本質を外しているかがよくわかってもらえると思います。
自分で意味を理解できていない答案を、他者がわかってくれるわけがないです。
道コンや進研模試のように機械的に大量に採点する場合は「このキーワードが入っていれば2点ゲット」みたいに部分的に点数を得られるかもしれませんが、実際の入試がそんなふうに採点される保証はどこにもないですからね。
「何言ってるかわからない答案はそもそも採点対象外で0点」
という採点基準だったらどうするというのか。
国語という科目は、本来ものすごくシンプルです。
日本語ネイティブが受験することを前提として、その受験生が日本語で書かれた文章を読み、その意味を日本語で説明する。ただそれだけの話です。
日常の会話で、われわれは話し相手の日本語を聞いて、その意味を理解して、日本語で応答しますよね。文章の内容が高度になっただけで、やっていることは日常会話と基本的に何も変わりません。
国語を何らかの特別な技能だと思い込んで、変にメソッド化しすぎるのはかえって本質を見誤らせます。
生徒はもちろん、教えている側ですら(もちろん全員ではないですが)、国語が日常のコミュニケーションの延長線上にあることを忘れているように感じることが日々多々あります。
個別指導について語るシリーズ、まだネタはあるのですが、時期的にそろそろ
「夏期講習」
について掘り下げて語ったほうがいいな、と思うので、いったん休止して次回は「夏期講習の意義とは何か」をあれこれ語ってみたいと思います。
引き続きお付き合いください。
村上翔平
進学教室FiveSchools代表。函館生まれ、札幌育ち、北海道大学文学部卒。18歳より進学会(北大学力増進会)にて講師を務め、卒業後ENEOS(株)を経て、2011年より現在まで代々木ゼミナール講師。2012年から2016年まで赤門会日本語学校にて日本語教師としても活動。2018年札幌に「進学教室FiveSchools」を設立し、現在も日々教室で指導にあたる。著書「やさしい中学国語」「18歳までに知っておきたい言葉1750」など多数。
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