blog
2025.08.11
去年は5教科すべての中で国語の平均点がもっとも低いという珍しい年度でしたが、今年はどうでしょうか。
去年は漢字からいきなり難易度高かったですが、今年は標準レベルかと思います。
「批判」が少し難しいでしょうか。
問1~3はごくシンプルでスタンダードな問題。
これを点取らずにどこで点を取るというのか。
問4はアとイは多くの生徒が消去できたと思いますが、ウとエが判断できなかった人が多いでしょう。
「活動の内容」からはじめることを主張していた森山さんが、中川さんの意見に折れて譲ったわけですから、2番目に「活動の内容」が来ると考えた人が多いのでは。
19行目「時間の流れに沿って」の部分を読めたかどうかで勝負が決まります。
問5
これは難しくも良い問題ですね。
ちょっと中1には厳しい気もしますが、まだ受験対策の垢に染まっていない中1だからこそかえって解けるという面はあるかも。
「二人の意見を組み合わせて」という前提条件なので、まず24行目から38行目までの対話を正しく要約できていないと何を書いていいのかわからないはず。
「情報が多くならないように」という条件から、森山さんの「感想の文章をスライドで映す」というアイディアだと、あまりにもスライドの情報が多すぎる、と理解できます。ということは「要点のみ」をスライドに出す、という内容が正解になると判断できる。
この「要点のみ」という内容が対話文の中に一切出てこないので、これらの前提条件から自分でひねり出さないといけないわけで、
「本文から言葉を抜き出してきて、ツギハギすれば点が取れる」
というレベルの低い国語指導を普段から受けていると、解けたはずのこの問題が解けなくなってしまうわけです。
後半の内容はまだ本文中の表現を利用できるので、前半に比べるとまだどうにかなったかもしれませんが。
「この模範解答、本文のどこにも書いてない、おかしい」
と生徒が思ってしまうようであれば、普段の国語に対する取り組みが根本から間違っている可能性が高いと判断すべきでしょう。
問4と問5がなかなか噛み応えのある問題でレベル的にはきつめですが、わたしとしては良問だと評価したい問題です。
出典:藤野恵美「雲をつかむ少女」
1978年、大阪府堺市に生まれる。大阪芸術大学卒業。『ねこまた妖怪伝』で、第2回ジュニア冒険小説大賞を受賞。父と娘の日常を描いた一般向けミステリ『ハルさん』(創元推理文庫)で2013年啓文堂書店文庫大賞を受賞した。「七時間目」シリーズ、「お嬢様探偵ありす」シリーズ(講談社青い鳥文庫)、『わたしの恋人』、『ぼくの嘘』(ともに角川文庫)、『初恋料理教室』(ポプラ社)など著書多数。
スマートフォンのSNSアプリで、罪なき人々がむごたらしく殺されていくシリアの内戦の動画を目にしてしまった中2の少女・結衣。そして、その動画の閲覧を勧め、社会と向かい合おうとする同級生の楓……。ネットに夢中な小学生もシリコンバレーの大富豪も、みんな、インターネットでつながっている。でも、雲=クラウドの「向こう側」には、どんな風景が広がっているのだろう。〈リアル〉と〈ネット〉をめぐる群像劇。
問1
傍線部「父親とあまりゲームをしたいと思わなくなった」という言葉から「以前は一緒にやりたかった=父へのポジティブな思い」が、「今はやりたくない=父へのネガティブな思い」へと変化したことを察知できるかどうか。これが国語の得点力に直結します。
さらに、今回は「父のいいところ」が書かれた8~10行目をそのまま全部書くと完全に字数オーバーするので、そこをある程度自分で要約しないといけない。
大問2の問5と同様「ただ本文のコピー&ペーストした答案には点をやらないよ」という出題者の意思を感じて、わたしにはとても好感が持てます。毎年、道コンの中1国語は気骨のある問題を作ってきてわたしはとても好きですね。(その分、難易度的にやりすぎだろ、と思うことも多いですが)
問2
空欄うしろの「お返しをしたかったから」というフレーズから、「虎太郎が先に翼になにかしてあげていた」ことが答えになることが強く推測されます。
ね、こういう推測能力があると簡単に答えの方向性が絞れるでしょう。
こういう推測能力が「国語ができる生徒」は自然に備わっているものです。
答えの根拠になるのがかなり後のほうなので、こういう推測能力がないとまったく方向性のズレた回答をしてしまいがちです。
問3、問4
これはひねりのない、昔ながらのシンプルな問題ですね。
こういう問題もあったほうがいいです、バランス的に。
問5、問6も取り立てコメントすることのない標準的な問題ですね。
噛み応えのある問題と、最低限の基本ができていればサラッと解ける問題と、ちゃんと生徒の能力に応じてきれいに差がつくように計算されていると思います。全体的に、とてもいい問題ですね。
ただ、なぜこの父親の話を聞いて虎太郎のすっきりしない気持ちが晴れたのか、正直よくわからないというのはありますが……
それが知りたければ買って続きを読め、ということでしょう。
出典:香山リカ「若者の法則」
日本の精神科医、評論家。
問1
いくらなんでも、冒頭の9字がそのまま答え、というのはやりすぎでは……
「仲間以外はみな風景」「友達以外は電柱やガードレールと同じ」と(当時の)若者が思っている、ということ自体がただの思い込みにしか見えず、そんな思い込みを客観的に正しいものかのように前提立てて論を展開されてもな……と思ってしまいます。
ジェネレーションにおける特徴なんて、ごく大雑把なゆるい傾向しかないものです。それを「きわめて信頼性の高い若者の法則」などと根拠もなく言うのは、とても学者の仕事とは思えない。
Amazonレビューも☆2.7ですが、それでも高すぎると思う。
そもそも、ジェネレーション・ギャップの話をするときに2002年発売の出典を使うこと自体がいかがなものでしょうか。この文章で書かれている「若者」って、つまりモロにわたしの世代ですからね。
まぁ、そのときの「若者」が今になって結果どうなったか「答え合わせ」をしたい、という意図ならまだわかりますが(最終段落の内容を読むと、そういう意図が出題者にある気がします)、それならリード文に「これは2002年に書かれた文章である」と一言入れないとダメですよ。
中1生にとっての親の世代を「若者」だと言う文章を、何の注釈もなく中1生に読ませていったい何をどうしたいというのか。
大問3まで良問ぞろいだったと思いますが、ちょっと大問4が文章のレベルが低すぎてとてもじゃないけど評価できないです。良い出典を探すことが、国語の試験づくりにおいて少なく見積もって半分を占める仕事だと思います。
問4
「他人=電柱やガードレールと同じ」というありもしない「法則」を前提に語っているので、もう論理展開がめちゃくちゃです。
「五十代の男性がもっとも暴力的」なら、他人を気にせず公共の場で最も好き勝手に振る舞っているのは五十代男性に決まっているでしょう。
この筆者のロジックでは「暴力をふるう=他人を人間として認識している=若者と違って『電柱』として他人を見ているわけではない」という展開で強引につなげようとしていますが、さすがに無理がありすぎる。八つ当たりに電柱やガードレールを殴る人、いくらでもいるでしょう。
根本的に「電柱」「ガードレール」のように、人間を完全なる無機物にたとえたこと自体が間違いなんですね。せいぜい「野良犬」「池の中の鯉」ぐらいにしておけばまだロジックの破綻は避けられたと思います。
他人を本当に「電柱」「ガードレール」だと思う人間がこの世にいるわけがないんです。
現実・実態を無視して自分が思いついた言葉遊びを現実・実態に適用しようとするからこんなわけのわからない文章ができてしまうのです。
問5
問4の時点で破綻しているロジックを強引に引っ張ろうとするので、もう正直何を言っているのかわからないレベル。
なぜ「他人をまるで電柱のように、風景としてとらえている」ことが、「他人の傍若無人なふるまいをすべて許容しなければならない」ことにつながるのか。
電柱がいきなり踊り出して騒いだり自分に襲い掛かってきたら、そんな電柱は切り倒すのが当たり前であって、そこに何の矛盾もないですよ。
全体的に、筆者独自のロジック、筆者の思考回路を読者側が高度に推測して補完してあげて、はじめて読解が成立する文章です。
大問3まではパーフェクトと言いたいぐらいすばらしい問題だったのですが、最後で思いっきりミソをつけた形になります。なぜこんな文章をチョイスしたのか、これのどこが良いと思ったのか、きわめて疑問です。
お問い合わせの前に、必ず以下の「入会案内」をお読みください
24時間以内に、メールにてお返事を差し上げます