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2024.11.16
出典:高浜虚子「俳句とはどんなものか」
1874~1959年4月8日。俳人、小説家。中学時代、同級生の河東碧梧桐を介して正岡子規を知り、後に上京して碧梧桐とともに子規の俳句革新を援ける。1898年、松山で刊行されていた『ホトトギス』を引き継いで経営、子規の写生主義を散文に生かした写生文も開拓した。1927年からは日本回帰の特色を持つ「花鳥諷詠」論を提唱し、生涯この信条を貫いた。
問1
あまりにもそのまんますぎて「本当に『春』でいいのか? 何かのヒッカケでは??」と思ってしまいそう。
問2
書き出しと指定語句がなければ相当難易度の高い記述になったと思いますが、書き出しによって答えの箇所が特定され、かつ指定語句によって出題者が何を答えさせたいのか誘導的になっているので、意味があまり理解できていなくても正解することは可能。
ただ、35字以内で自然な日本語にまとめるほうが難しそうです。
内容的にはポイントが含まれていても、日本語的におかしいせいで減点、あるいは✕になっている人も結構いると予想します。
(村上ならこう書く)
「主観的な潤沢さという、春の水が元来持つ特別な性質を言い表すため。」
問4
これは良い問題だと思います。
文脈で考えることもギリギリ可能なので、知識として「眼目」という語を知らない生徒でも解くことは可能。ただ、「眼目=メイン部分」という意味を知っていたらもっと簡単に解ける。
問題を通じて生徒の語彙を増やそうとしているようにも見えます。このような、そのテストを解くことで生徒の学力向上に寄与する問題はとても良いと思うのです。
問5
これも、選択肢ごとの意図が明確でいいですね。
アとイは「時間帯」が読み取れているか、イは「体言止め」の理解、ウは「定型、字余り、字足らず」の理解、エは「季語と季節」の理解。
学力テストABCには文句を言うことが正直多いですが、この大問1はとても良いですね全体的に。
テキストとして採用したいぐらいです。
出典:中島敦「弟子」
1909-1942。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏を経て専業作家になるも、同1942年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。
中学生のテストに中島敦とは……
文章量が短い学テABCの中でもさらに短めなのは、文章そのものの難易度が高いからなのでしょう。
大問1といい大問2といい、文学好きな先生が作成したのかなぁ、と。
また、知識問題の比重がやや高く、問1~4までは本文を一切見ずに知識だけで解く問題です。
懐古趣味的で今の出題傾向にマッチしないという批判は可能ですが、個人的にはこういうテストもあってよい(残っていくべき)とは思います。
昔のブログで反響のあったこの記事でも書きましたが、古文単語とまでは言えない、現代語の中の「少し古めかしい語彙」が今の生徒たちにはほぼ通じない状況になっています。水戸黄門も、東映やくざ映画も、忠臣蔵もほぼ失われてしまった現在、生徒がこういう古風で格式の高い日本語学ぶ機会を意図的に作っていく必要があると思っています。
テストも、最近の若者におもねった文章ばかりを出すのではなく、こういう時代がかった作品をもっと出題しても全然よい、むしろもっと積極的に出題していくべきだろうと常々考えています。
センター、共通テストの国語では戦後すぐの小説、第1次世界大戦期の小説、場合によっては明治の小説だって出題されます。
小中学のうちからある程度こういう古めかしい文章を読めるだけの素養、語彙力は養っていかないと、いきなり高3になってから対策しても手遅れも手遅れなので。
……とはいえ、ちょっと中島敦はやり過ぎな気もしますが。
「道学者臭」なんて、中学生どころか20代でも通じる人1割もいないでしょうし、「侠者=弱きを助け強きをくじく人」という注釈を見て、出題者が思い描いているイメージは中学生には思い浮かびません。「無頼」「侠客」と言って大人がイメージする人間の像を、いまの中学生のほとんどはイメージできません。
ただ、その一方で、たとえ意味が完全に伝わらなかったとしても、こういう文章に触れる機会を作ることには意味があるのかな、と思ったりもするわけで、、、評価が難しいテストだと感じます。
問題としてはオーソドックスな内容で、特に変なところ文句をつけるべきところはないかと思います。
出典:鴨長明「方丈記」
日本中世文学の代表的な随筆とされ、『徒然草』兼好法師、『枕草子』清少納言とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられる。
全訳
わからない。生まれる人、死ぬ人は、どこから来て、どこに去っていくか。また、これも理解できない。仮の宿のことで、誰のために心を悩まして、何のために目を喜ばせようとするのか。その主と家とが、諸行無常を争う様子は、言ってみれば朝顔と露と同じことである。
あるときには露が落ちて朝顔の花が残り、たとえ残ったとしても次の朝日で枯れてしまう。あるときには朝顔の花がしぼんで、露はそれでも消えない。消えなかったとしても、夕方まで残ることはないのである。
普段「注釈さえ読めば全部わかる問題」を批判しているわたしですが、これは逆にあるべき箇所に注釈がなさすぎて、結局この文章が何を言いたい文章なのか、理解できている生徒ほとんどいないのではないでしょうか。
というか、上の全訳を読んで意味わかるでしょうか??
現代語訳を読んで意味がわからないのであれば、古文で読んで意味がわかるはずがない。
「露と朝顔」の関係と「主と家」の関係が類似していることを理解して、「諸行無常=平家物語」の内容をふまえて考えれば上位5%の生徒はだいたい適切に解釈できるような気もしますが、それでもせいぜい上位5%ぐらいでしょう。
また、問題も、内容が全然わかっていなくてもある程度誘導によって解けてしまうんですね。
文章の意味が全然わからず、でも問題文の誘導に沿って答えを出してある程度は正答できていて、結果何がいいたい文章だったかさっぱりわかっていない、というのでは、あまりこの問題を出題した意味がないような気がします。もったいないですよ。
たしかに「無常観」という概念を理解することは中学古文の学習でも重要ですし、さらに言えば高校での古文学習についても必須です。避けて通ることはできない。「無常観」についてこのテストを通じて生徒たちにわかってほしいと考えていると思うんですね。この出題者の先生は。
ただ、大問2と同じく、いまの中学生の語彙レベルを高く見積もりすぎているのではないかと。
注釈だらけなのも問題ですけど、過不足のないちょうどいい場所に、ちょうどいい注釈をつけることもやはり重要だと思うんです。
……これは知りえることでありませんが、大問1~3まで、同じ先生が問題作成しているんですかね??
だとすると文章のレベル感といい、問題でやろうとしていることといい、すごく納得がいくのですが。
正直、手放しで良い問題だとは言えないと思うのですが、この問題を作ろうと思った意図についてはなんとなくわかるような気もするのです。
出典:工藤尚悟「私たちのサステナビリティ」
1984年秋田生まれ。東京大学大学院新領域創成科学研究科サステイナビリティ学グローバルリーダー養成大学院プログラム博士課程修了。サステイナビリティ学博士。2021年より国際教養大学国際教養学部グローバル・スタディズ領域准教授。専門は、サステイナビリティ教育、コミュニティ開発、縮小高齢社会における地域づくり。秋田と南アフリカ・ザンビアの農村地域を往来しながら、異なる風土にある主体の出会いから生まれる「通域的な学び(Translocal Learning)」という方法論の構築に取り組む。
大問1~3までは、どれも古風な匂いを保ちつつも読みごたえのある内容でしたが、大問4は文章の内容もありがちな「持続可能性」「SDGs」のお題目みたいな内容ですし、問題もごく標準的な内容、レベルのものばかりかと。
出典の方には申し訳ないのですが、大問1~3に比べて突然つまらない内容になったな、と感じてしまいます。
大問1は良問、大問2-3は良さもありつつも、手放しで肯定できない箇所もある。大問4は普通だけど面白みはない。
まとめるとこんな感じのファースト・インプレッションです。
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