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代表・村上翔平

大震災のその年に⑧ 新居さがし

そんなこんなで2011年の1月、とうとうENEOSに退職届を出してしまったわたしは、果たして本当にこんな道で食っていけるのか、後でとてつもない後悔をするのではないかと数日間悩みに悩むことになります。

ネットを見てると「退職届を出してスッキリ、もう働かなくていい」的な言説が飛び交いがちですが、全然そんなことはなかったですね。

あのとき病院に行ってたら何か診断名ついたのではないかと思えるレベルでメンタルが弱っていた記憶があります。

ただ、基本的に人に弱みを見せようとしない人間ですので、このときの悩みはほとんど誰にも言っていなかったです。

当時の彼女と、当時の課長(係長とは仲悪かったのですが、課長のことは決して嫌いではなかったので)のふたりぐらいで、親もこのときのわたしの精神状態がどのようなものだったかは知らないはずです。

会社的にも、わたしが退職届を出したのは1月初頭でしたが、退職の辞令が出るのは通常の人事ローテーションと同時、つまり2月中旬になるとのことだったので、わたしの退職を知る人は社内でもごくわずかでした。

ただ、いずれにせよ退職日は迫ってきますので、新しい職場を確保している以上次にやるべきことは新居さがしです。

当時は横浜・鶴見の社員寮に住んでいたので、さぁどうしまようか。

その時点で決まっていた職場は……

代々木ゼミナール……津田沼校

増田塾……川越校、朝霞校

この2つが校舎も含めて確定していたはずです。

四谷学院にも内定が出ていましたが、たしか千葉校でクラス授業を、船橋校と四谷校で個別指導を初年度はやったはず。

校舎までこの時期にすでに確定していたかどうかはちょっと記憶にないですね。

あと、これに加えて退職後に「日本語教師養成講座」に通うことを決めていました。

先日までダラダラと日本語学校の文法について連載していましたが、そのルーツはここにあったわけです。

先ほど話に出てきた当時の彼女が筑波大学の学生で、日本語教師志望だったんですよね。

で、わたしも現代文講師としてデビューするわけなので、「じゃあぼくも日本語教師やる!」と勢いで決めただけの単純な動機でした。

で、その日本語教師養成講座が日暮里にあったものですから、

東京都……四谷・日暮里

埼玉県……朝霞・川越

千葉県……津田沼・千葉・船橋

を渡り歩かねばならない生活がこれからはじまることを意味していました。

札幌の人にはピンとこないでしょうから、地図で各都市のロケーションをざっくりと示します。

ちなみに、この中でいちばんひどかったのは、

「千葉で午前中に浪人生の授業をやってから、午後から川越に移動して夜まで授業」

という日でしたね。

ただ、この程度で「ひどい」なんて言っていられないことを、わたしは予備校講師2年目、3年目で痛感することになるのですが、それはまたこの連載とは別個の話となります。

ちなみに、当時からわたしとTwitterでつながりのある人は「バスジャック事件」が記憶にあるかもしれません。わたしが起こしたわけじゃないですよ。

この「バスジャック事件」はこのときの四谷学院・千葉校の目の前で、今述べたように川越へさぁ移動しようというタイミングで発生したものなのですね。

さて、こんな状況で、わたしは結局「千葉県・南流山駅前」に住居を決めることなります。

(つづく)

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