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代表・村上翔平

大震災のその年に⑤ 食い扶持確保の旅

代ゼミ講師採用試験をみごと一発でパスしたものの、問題はここからです。

「2011年度で用意できるコマ数は、2コマしかない」

という条件での合格だったのですね。

大手予備校講師というのは基本的に雇用契約ではなく、年間のコマ単位の契約でしかない。

つまりわたしは代ゼミ講師になると言っても代ゼミの社員になるわけではなく、個人事業主として独立することになります。

「個人事業主としての、あくまで契約先のone of themが代ゼミである」ということですので、つまり他にわたしがどの予備校と契約しようが、予備校ではない別の仕事をしようが、それはわたしの勝手、代ゼミは基本的に(例外はあります)関知してきません。

基本的には、フリー予備校講師の世界というのはそういう世界です。

コマ数が2コマというのはどういうことかというと、具体的な当時の代ゼミのコマ給は置いておきますが、一般的に2011年当時の新人予備校講師の時給はおおむね4000~5000円/hが相場だったと思います。

よって、90分1コマの予備校だとすると、1回授業するたびに1.5時間=6000~7500円が給料としてもらえる計算になります。

この幅の中で良いほうの数値、7500円/1コマで仮に計算したとすると、「週の担当コマ数が2コマ」ということは週にもらえる給料が週に15000円ということです。

しかも、授業というのは52週間ずっとあるわけではないです。

代ゼミの場合、講習会がなければ1学期に12講、2学期に12講、1クラスあたり24コマしか年間で担当できない。

つまり、このまま代ゼミの仕事しか持たずにENEOSを辞めた場合、わたしの年収は良く見積もったとしても、

7500円/コマ単科 × 2クラス × 24講

年収36万円

ということになります。

「本当にそれでもやりますか?」

「やるというのなら、今から4月が始まるまでに、食い扶持を確保するためにいろいろな予備校の採用試験を受けるなどしてください」

「人生が変わる話なので、合格したからと言ってうちに来てくれ、とは言えません」

「本当に大丈夫なのか、よく考えて結論を出してください。決しておすすめはできないけれど……」

「高給が保障されている会社に勤めているのだから、そのままでいたほうがいい気はするのですが」

このような趣旨のことを、当時の人事担当の人(数年後に代ゼミ津田沼校で再度お世話になった人です)に電話で言われるのも当然のことです。

ただ、もはや当時のわたしの気持ち的には、

「ここまで来たら後には引けない」

「大手予備校講師として食っていけるチャンスなどそうそうない」

とすっかり思ってしまっていますので、それなりに不安を抱えたまま、いろいろな予備校の採用ページを見まくって、ほぼ手当たり次第レベルで履歴書を送っていくことになります。

結局働くことはありませんでしたが、予備校だけではなく資格試験の講師とか、そういう方面にも履歴書出した記憶があります。

これも後になってから業界の常識を理解するんですけど、普通、冬から応募して、いきなり翌春からの仕事なんて見つからないんですよ。

どの予備校も翌年度の講師募集、講師配置なんて終わっているわけですから。

その枠が埋まり切らなかった一部の予備校を相手にした、決して条件のよくない職探しが始まったわけです。

とはいえ、「現役ENEOS社員」「代ゼミで内定済み」「まだ20代」という3本の武器を持っているわたしはわりと順調に他の予備校からも採用となり、名前は出しませんがそれなりに大きな全国にある(札幌にもある)有名予備校と、今はすっかり勢いがなくなったようですが当時はブイブイ言わせてた「私立文系専門」の予備校の2つを収入の柱として加えることができて、まぁこれなら年収200~300万ぐらいにはなるかな? という状態までは持っていくことができました。

ENEOS社員として年収550万ぐらいでしたので大幅減収ではあるんですけど、まぁ食っていけないレベルではないだろう、と。

これなら、辞めても何とかなる。

そう思ったわたしが、ENEOSに退職を申し入れるのは唐沢年明け、1月の出社初日のことだったと思います。

(つづく)

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