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執筆者の写真FiveSchools

FiveSchools理念

更新日:3月31日

「当たり前」を積み重ねると、知らない世界が見えてくる。


開塾当初から、実は変わっていない経営理念です。

この言葉は誰かの借り物でもなければ、熟慮を重ねて生まれたものでもありません。

創業当初の看板


それは、今はなき代々木ゼミナール仙台校にわたし村上がはじめて出講した冬のことです。


代ゼミ仙台校では受験直前期、色紙に生徒への激励メッセージを書いて貼り出す恒例イベントがあったようで、わたしにも仙台校スタッフの方から激励メッセージを書くよう依頼がありました。

わたしは新幹線ですぐ東京に戻らなければならなかったこともあり、その場ですぐに激励メッセージを考え、瞬間的にひねり出したのがこの言葉だったのです。

人間、とっさに瞬間的にひねり出した言葉のほうが、かえって熟慮に熟慮を重ねるよりも本質をつくことなどよくあるものです。

このフレーズをなんとなく気に入って、その後同様に激励メッセージを求められるたびに同じ言葉を書いていたものです。


(ちなみに、FiveSchoolsの看板を新谷先生にデザインしてもらったときも何案か候補があったのですが、結局いちばん最初にザラっと描いたデザインがいちばんいいよね、ということで意見が一致し、今の看板デザインが完成しました)


今の看板


「北大ファイブ」開業時、勢いでこのフレーズをそのまんまキャッチコピーをして掲げてはみたのですが、なんとなく「予備校講師の決めゼリフ」的に見えてしまうのが自分的にはこっぱずかしく、同業者から参考書のサインを求められたときになんとなく「このフレーズを書いてくれ」という雰囲気を感じたこともあり、それはちょっといやだなと思って「北大ファイブ→FiveSchools」への業態転換時にキャッチコピーとしては外しました。


とはいえ、この言葉じたいは、わたしが教育指導をするうえで大切にしていること、生徒に大切にしてほしいこと、スタッフに大切にしてほしいこと、これらすべてをうまく体現しているな、と今でも思えるものですから、ここは「FiveSchools理念」という形で残しておいて、同時にこの理念を通してわたしが何を言いたかったのかも一度きちんと説明しておこうと突然思い立ったわけです。


まず、わたしがよく授業でも扱うテクスト、2008年センター試験追試、高橋巌「ヨーロッパの闇と光」から引用します。ちょっと長いですが。


われわれが一本の木に相対するとき、針葉樹か闊葉樹か、杉か松か、一本か二本か、自然に生えたものか等々という無数の概念をもってこれに相対する。もしふさわしい概念が発見できないとき、われわれは不安を感じるが、反対に対応する概念が発見できれば、それ以上その対象にかかわり合う必要がない。たとえもはや知覚していなくとも、一旦獲得してしまえば、概念や表象はいつまでも心の中にとどまっていてくれる。だからわれわれの世界像の構成要素として概念だけを取りあげ、概念の様々の複雑な組合せによって、次々により高度の新概念を作り出すことに専念している現代の、いわば思考の肥満症的徴候をもつ社会において、純粋な感覚の質的体験が無視されていくのは当然なのである。


この引用箇所は「思考・概念」をネガティブに捉えた書き方をしていますが、「思考・概念」に対するそういった価値判断はここでは脇に置いておきます。わたしがこのテキストから導きたいメッセージはこうです。


われわれが現代社会で扱うさまざまな概念は、どれも一見するときわめて複雑かつ高度なものに見えます。科学、法律、経済、などなど、例をあげるとキリがないですね。


それと同様に、生徒たちの目から見れば、初めて立ち向かう中学・高校の教科内容、入試問題、いずれも自分の力では及ばない、距離を測ることもできない複雑高度なものに見えているのかもしれません。


はじめて仕事をする「社会人」も同じかもしれません。先輩や上司が話している仕事の打ち合わせ、最初は何を言ってるのか専門用語の意味すら理解できず、電話対応もできずにまごまごする以外に何もできない自分がそこにいる。


先ほどの「FiveSchools理念」でいえば、まさに「知らない世界」がいつも目の前に立ちはだかっているのが勉強であり、仕事であり、人生なのだろうと思うわけです。


ただ、先ほどの「ヨーロッパの闇と光」引用箇所をもう一度見てください。


どんなに複雑で高度なように見える概念も、それは結局のところ「組み合わせ」によって作られたものにすぎない。

その「組み合わせ」をほどいてみれば、それを構成するひとつひとつの概念じたいは単純なものにすぎなかったりするわけです。

でも、その組み合わせの複雑さゆえに、未熟な状態の人間にはそれが単純なもので成り立っていることに気づけないだけなのですね。


であれば、われわれが「より高度な何か」を手に入れたいのなら、やるべきことは「一瞬ですべてを解決してくれる便利な魔法」を追い求めることではないでしょう。そもそも、そんなものは存在しないのですから。

われわれがやるべきことは、自分が望む「より高度な何か」を構成する、ひとつひとつのシンプルな概念に向き合い続けることです。


たとえば、われわれ指導者がより良い指導をしたいと思うなら、一瞬で生徒をやる気にさせ、成績を急上昇させるような「魔法の言葉」を探すのではなく、教える教科内容ひとつひとつに向き合い、理解する。担当する生徒ひとりひとりの話を聞いて、必要だと思う言葉を投げかける。一回一回の授業に全力を注ぎこんで、悔いの残らない仕事をする。


生徒が本当に成績を上げたいのなら、勉強時間をかけずに得点が取れる「裏ワザ」を探すのではなく、自分に足りないものは何かを突き詰めて考える。できない今の自分を認める。基本が理解できていないのなら、中1の基本内容からもう一度やり直す勇気を持つ。


そうやって、目の前の「当たり前」のことに地道に向き合うことでしか、自分が手に入れたい「知らない世界」は手に入らないのではないか。

いや、それを「地道な努力」だとさえも思わなくなり、本当に心の底からそれを「当たり前」だと思えるようになったとき、いつの間にか自分が「知らない世界」にいることに後から人間は気づくものなのではないか。


教育指導や仕事を通して、なんとなく感じていた仕事との向き合い方、あるいはなんとなく自分が「生徒にこういうふうに勉強と向き合ってもらいたい」と思っていた考え方を、ピタッと言い当てているフレーズだな、と感じているわけです。


あ、そうそう。

大切なことを書き忘れていました。


「当たり前のこと」を積み重ねるには、まず「何が『当たり前』なのか?」を見つめることが常に前提とならなければいけませんよね。


「当たり前のこと」は人から与えられるものではなく、自分で日々疑い、確かめていくものです。上司から言われた作業を何も考えずにただやる、先生から教えられた公式をただ丸暗記するというものではなく、自分にとって最も合理的だと思えること、正しいと胸を張って言えることをやることなのだと、わたしは思っています。


……と、このようにつらつらと書いてみましたが、自分が思っている仕事への向き合い方、生徒に求めたい勉強との向き合い方を、どの程度言語化できたかは自分でも定かではありません。なぜなら、こういったわたしの仕事や生徒への向き合い方も日々の中で少しずつ変化したり、成熟したりするものだからです。

ですので、一応今の時点での「経営理念」として説明はしてみましたが、いつ何時、新しい説明が付け足されたり、削られたり、改変されるかはわかりません。あくまでも2021年7月の、39歳を迎えたばかりの時点でのわたしの考え方として特にスタッフや保護者さま、生徒さんに読んでもらえたらよいかな、と考えております。






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