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代表・村上翔平

大震災のその年に⑪ 最終回

さて、ENEOS退職が決定し、東日本大震災がご存じ3.11で、退職は3月末ですからさほど時間が残っていません。

「これ、残務処理終わらずに数日勤務延長になるのでは??」

と思っていましたがそこまでの事態には至らず、割と引継ぎなどギリギリではあったものの普通に退職日を迎えることになったと思います。

具体的にどんな仕事をしたとか、全然覚えていないのですが、わりと記憶に残っているのは、仕事よりもむしろ送別会のほうでしょうか。

決して社内でよい人間関係を築いていたとは言えない当時のわたしですが、それでも歓送迎会は開かれますし、わたしもちゃんと出席します。

どんな偉い人が一緒にいようが、普通に飲みたいだけ飲むスタイルで4年間のサラリーマン生活を乗り切ってきたわたしですので、当然自分が送別される立場になればいつも以上に遠慮なく飲みたいだけ飲むことになります。普通に楽しかったと思う。

ただ、いちばん強く覚えているのは、わたし(だけでなく退職転勤する社員それぞれ)に向けて社員の誰かが挨拶で言ったコメントです。

「村上くんも、これまで社会人だった経験をきっと生かして新天地で活躍してくれると思います」

「おれは今後社会人ではなくなるのか……」

とそのときはなかなかのインパクトを感じましたが、今思うとフリーランス予備校講師なんて堂々と「社会人でござい」と名乗れるポジションではないような気もします。

今のわたしは周囲から社会人だとみなされているのかいないのか。

あとは、当時わたしが担当していた2010年入社の新入社員メンバーですね。

もう彼らも課長世代になっていますが、まだ新2年目を迎える非常にフレッシュな若者たちで、彼らが最後に送別会を開いてくれたのは大変うれしく感じたものです。

正直、2010年の仕事で楽しかったと思える数少ない思い出がこの新入社員研修関係の仕事だったので、いくらかこの一年間が報われたような気分になりました。

まさか自分たちを担当していた「人事のお兄さん」が「代ゼミ講師になる」と言って一年で辞めるとは思わないですよね。

退職の辞令発表当日の朝にメールで全員に知らせましたが、なかなかびっくりされたんじゃないかと思います。

だいたい、覚えていることはこんな感じでしょうか。

とくに結論として何かまとめるようなことはないのですが、このような流れで最初で(おそらく)最後のサラリーマン生活は幕を閉じることになります。

あとはそうですね、北海道支店の新入社員時代の話とかも書けなくはないのですが……

こちらは今でもお付き合いのある方が何人もいらっしゃるので、ちょっと書きにくい話が多すぎるかもしれないです。

だとすると、このまま引き続き「新人予備校講師時代」の自叙伝を書くほうが現実的かもしれません。

「就職活動記録」も自分的には面白そうなのですが、それこそ記憶に残っていることがあまりに少ないので、なかなか難しい。

ということで、いずれ折を見て別の自叙伝シリーズを書くこともあるかもしれません。

そのときは再度お付き合いいただければ幸いです。

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